将棋と誕生日
最近話題のアイドルの曲を聞きながらランニング。歌っている言葉の意味がわかるとイメージする世界が固定されるので飽きてくる。つまり言葉の意味がない邦楽は特に飽きやすい。それがとてもいい音色だったとしても。でも、今回のアイドルの曲はまだ飽きていない。とてもいい曲だ。でもすぐに飽きるのかもしれないとも思う。
夜、奥さんと将棋をした。ちょっと前に日本に行ったとき買って、奥さんの誕生日プレゼントの一部にしたのだが、将棋をするタイミングを逸していたためなかなかできなかった。
ちなみに今さらだが、奥さんの誕生日は例によってちょっとしたサプライズを仕掛けた。夜は奥さんの実家に行く予定だったので、昼に決行。まずランチとして彼女の大好物の寿司を用意。買ってきたそのままだと豪華感がないのでお皿にきれいに盛り付ける。奥さんは用事があって外に出かけていたのでそういった準備ができた。
加えて、小さなものから大きなものまで贈り物を用意する。それを宝探しのように家に隠し、各々の贈り物に次の贈り物の在りかの書いた紙に、ついでにかわいい動物の絵を書いて設置。
初めの紙は奥さんの寿司用の小皿の下のテーブルに設置。すなわち、食べた後に片付ける際、自動で気づくことになる。次は奥さんの好きなチョコを当時まだあったクリスマスツリーに設置、その後は奥さんの好きなガム、スタバのコーヒー、将棋セット、そして最後に本を読むためのタブレットだ。本を読むためのタブレットに決めの手紙。そして最後は、タブレットの電源を入れた後、新品のはずなのにすでにダウンロードされている電子書籍として、私の手書きメッセージを用意。
一ヶ月前のことだったが思い出したので書いたが、こういうのは自分で書くものじゃあない。こういうのはされた側がするからいい話しになるわけで、自分で書いているのは完全に自己満足だ。
でも、これを読んでくださる殿方やご婦人がだれかを祝う際の参考になるんだったら、少しは自己満足以外の意味があるのかもしれません。
矯正とインビザライン
インヴィジライン歯の矯正が進み、奥歯の噛み合わせが悪くなっている。というのも、これまで私の右側の奥歯は内側と外側にズレており、それらが噛み合うことがいっさいなかった。しかし今回、このインヴィジラインという見えない矯正を始めたことにより、それら噛み合うことがなかった歯がついに交わり出してきたのだった。
ただし、それらはあくまでも接地点が直ってきているというだけであって、未だにそれらがしっかりと納得がいく噛み合わせになるところまでには至っていない。現状はあくまで上下の奥歯の角同士が接地点となっている。言い方を変えるなら、上下に配置された立方体が面という噛み合わせではなく、それらの角同士が触れ合っているという段階だ。そのように歯の角同士が当たる段階では、その接地点が他の歯の接地点よりも高くなることで、そこしか接地点がないという問題が生まれる。そのため、今の私の噛み合わせは、まっすぐに力を入れずに噛もうとすれば、その奥歯がつっかえ棒のようになり、他の歯がまるで宙に浮いたような状態になっている。しかし、矯正の過程において歯に少しだけ可動域が生まれるため、歯をずらしながらじょじょに力をかけていけば、他の歯たちとも接地点を見つけることができる。これから歯がもう少し動けば角同士ではなく、面同士が接地することでよりしっかりとした噛み合わせになっていくはずである。
ちなみに日本ではインヴィジラインではなくて、インビザラインと訳されているようだ。マウスピース矯正とも言われている。
TOTOと尻
注文したウォシュレットがもうすぐ届く。小学校からウォシュレットを使ってきた私としては、ウォシュレットがない国の人の尻の穴が心配でならないし、ただでさえ不潔そうな人が多いんだから、きっとうんちのカスがついている人も多いんだろうなと思うときがある。
これまでカナダの公共の場でウォシュレットがあったのは過去二回しかない。一つは某ラーメン屋。もう一つはダークテーブルという目の見えない人が働いている真っ暗闇のレストランに、なぜかウォシュレットがついていた。うんちが尻についているのか真っ暗でわからないから、念の為ウォシュレットをつけているのかもしれない。
ちなみに日本人の中に、公共の場のウォシュレットは使いたくないという人がいる。過去、日本の知人にアンケートをとったことがあるのだが、実家にウォシュレットがありそこでウォシュレットとともに育ったか、そうでなかったかで答えが変わるということを知った。前者は公共のウォシュレットも使えるが、後者は公共の場ではウォシュレットを使いたくないという人が多かった。後者の理由としては、なにか汚らしいということだった。
話しは今回購入するウォシュレットに戻る。
国にもよるが少なくとも北米でTOTOは主流ではない。世界的にTOTOのシェアはたしかに大きいとは思うが、現地の小売やホームメーカーに営業をあまりしていないのか、TOTOの製品はあまり充実していないし、家に備わっていることも多くない。例えばコストコもベストバイという日本で言うヤマダ電機的な場所も、TOTOの製品の品揃えはあまりよくない。ビルなどのトイレがTOTOなのはたまに見かけるが、家のトイレがTOTOだった試しがあまりない。トイレはさておき、TOTOは少なくともウォシュレットに関して、もっと売り込んでもいいのではないかと思う。こちらの人の間でもじょじょにウォシュレットは広まってきているが、なんせ流通量が少ない。他社のブランドが圧倒的に流通している。
そんなウォシュレット事情だが、私はTOTOを買った。それは日本人だからだ。なんやかんやで大きな買い物は日本製しか買っていない自分を思い返すと、おそらく私は日本人として日本製品を信じている一方で、他国の製品(特にアジア圏)をまったく信じていないんだと思う。ただそこには他国の製品に対する盲目的な差別と、日本製品への信仰が入っている。でも、例えば日本製品が他の国のそれよりも性能が劣っているとしても、私は日本文化が持つ誠実さを信じているし、それが仮に間違いを犯しなにか問題が起こったとしても、私はこの時代に生きている日本人として間違いを含めて信じていきたい、共倒れになってもいいくらいの気持ちでいる。でも、やっぱりそれって、日本という名の宗教の信者でもあるってことだと思うし、国際社会で足をすくわれる可能性は大いにある。