きょうのできごと

ともだちになってください

会話泥棒

 最近のことだ。私はひさしぶりにだれしもが一度は経験があるであろう、あの例の席に座ってしまったのだった。それは何を隠そう、自分はまったくとして当事者で無いにも関わらず、まるで自分のことのように胸がときめき踊り出す、そう、初デートカップルの隣の席である。

 私がそれを認識するのには数分程度の時間と、対象者から気づかれぬためのさも傾聴などしていないであろう振る舞い、店内や店員には実はまったくとして興味が無いにも関わらず、あたかも興味があるように見せかけた一連の動作の中における流れるような視線での対象の確認、これまで培って来たありとあらゆる盗み聞きの技術を総動員させる必要があった。

 同席している盗み聞き仲間とは、目の動きだけで確認をとる。我々のこれまでの盗み聞き経験をもってすれば、目の動きのみで対象者がいるということを把握することは容易だ。

 仲間内で対象者把握後、実際に盗む段階となる。ちなみに今回使用した盗みの技は「ストレッチ盗み」である。例えば店内を無言で見回し、対象を把握し続けるのには限界がある。実際にやってみると分かることだが、無言で店内を見回すという行為は、店員もしくは勘のいい客に怪しい人物であると思われてしまうリスクを兼ね備えている。ましてや、会話を盗む対象者が勘のいい客だったともなれば、一気に会話に警戒網が張られてしまうことになる。つまりはその時点で任務は終了という、我々プロの会話泥棒としてあってはならない結末を迎えてしまう。理想としては、辺りを無言で見回すのは十五分に一度くらいに留めておきたいものだ。そこで今回我々が採用した、この「ストレッチ盗み」を使用すれば、椅子に座っている状況下において、身体を反らすストレッチをするだけで自由な視線を得ることができる。また、この「ストレッチ盗み」は単独でも複数時でも可能な方法であり、単独任務が発生した際にはとても重宝されている技の一つである。

 また、今日はもう一つ基本となる技を紹介しておこう。その技は「興味あるふう盗み」と言う。これはチームでの任務でのみ可能な技になる。この盗み技は、まったく興味の無い店内の何かが、ターゲットとなる人物の近くや背後などにあった場合、そのまったく興味がない何かにさも興味があるようにすることでターゲットの方向を向く自然な流れを作るという盗み技である。しかし、これには言わずもがな若干のチームワークが重要である。例えば「あの壺すごいねえ」と言われた場合、「ああ。あれはマツモトタイゼンの壺の系譜じゃなかろうか」などと、有りそうで無い固有名詞を使うことで、話を縦横無尽に広げ続けることが必要となってくる。

 また、我々は眼鏡を好む。言わずもがなだが、横向き時に視線を流す際、眼鏡のフレームが壁となってターゲットがこちらの視線を把握することを妨げる効果がある。それでは、サングラスも有効なアイテムなのかと、たまに聞かれることがあるが、文化的環境的背景や、ある特定の状況下にて、屋内でサングラスをかける必然性が保たれていないと、対象者を含め周囲から異様な人物であるという見方をされてしまう。そうなると、辺りに緊張感が生まれてしまうため、上手く盗めたと思ってもいかんせん内容に乏しく、ありきたりな情報しか得られないことが多い。

 ちなみに今回の会話泥棒で我々は、マッチングアプリで初お見合い、そしてデートをしていたらしいアジア系女子と白人男性の初々しい会話という財宝を手に入れることができたのであった。

 タイ料理屋を後にするやいなや、仮そめのストレッチや会話を楽しんでいた妻と私が、せきを切ったようにして今回の任務の報告と確認、今後の彼らについての分析をしたのは言うまでもない。恋愛ゴシップの力たるや恐るべしである。