きょうのできごと

ともだちになってください

最近実際にあったこと

 エリザベス。霞がかった意識の中、今思えばそれはただの文字列とだけしか、そのときのぼくは理解していなかったのかもしれない。

 自分がいつの間にか眠っていたことに静かな驚きを覚えつつも、ぼくはその予想し得なかった心地よい目覚めに限りない充足を感じていた。携帯電話があるはずの場所へと手を伸ばす。柔らかい布団が持つ生地の感触と温度は、裸のだれかと肌を寄せ合うときの予想より冷たい温かさを思い出させた。指先が携帯電話を見つけ出し、ぼくの目の前に着信履歴を広げる。エリザベス。少し前のあやふやな世界で見た文字列がそこにはあった。いったいこれはだれなのだろうか。そんなことを思っていると、まるでぼくがその着信に今しがた気づいたことを知ったかのように携帯電話が揺れだし、少し経って止まった。それはまたもやエリザベスだった。女性の名前である。しかしぼくにはそのような名前の友人はいない。いや。いると言えばいる。しかし彼女はエリザベスという名を通名として使っていただけであり、そもそも別の国にいるぼくの番号など知るわけがない。そんなことを考えていてハッとした。白人の老婆だ。数週間前、ぼくはひょんなことから白人の老婆と連絡先を交換したのだった。

 そのときぼくは初めて訪れる自分が住む市の施設にいた。その施設は図書館や体育館、市役所など様々な施設が集められた複合施設だ。ぼくは施設内を散策しながらその施設の規模感や混雑具合に、これまでこの国であまり感じたことのない親近感を感じていた。老人の憩いの場になっている小さなカフェの価格帯はとても安価であり、体育館やジム、その他の娯楽で汗を流す人々の笑顔が印象的だった。

 この場所が素晴らしい場所であるということを確かめるように、ぼくは普段は気にもとめない掲示板のチラシまでもくまなく目を通そうと掲示板の前に立っていたときだった。急に近くに居たエリザベスが掲示板のイベントチラシについて、ぼくに話しかけてきたのだった。

「このイベントはいいわよ絶対」
「こういうかわいそうな若者が多いのよ最近」

 ぼくがうんうんとうなづけばうなづくほどにエリザベスの話の勢いは加速する。ついには自分の身の上話が始まった。彼女は生まれてからこれまで様々なところに住んだことがあるということだった。同時にそれぞれの住んできた場所に行くことをぼくに強く勧めてきた。最終的に、もっと私と話したいなら日を変えてカフェでも行きましょうと連絡先交換を促されたのだった。

 ベッドの上でぼくは考えていた。もしかしてあのときのカフェに行くという約束。エリザベスは老婆だけど、ぼくとカフェデートをしたいのかもしれない。そのための着信なのかもしれない。気がつくと、先ほどまでここにあったはずの限りない充足感はどこかに消え去ってしまっていた。エリザベスはぼくの左手の指輪に気づいていなかったのだろうか。付き合ってもいないのにぼくはこれから老婆をカフェでがっかりさせなければいけないのだろうか。

 ただ、なんにしても着信を無視することはできない。そう思ったぼくは勇気を出してエリザベスに電話をかけることにした。

「もしもし。こんにちは、エリザベス。着信あったけど、どうかしましたか」

 ぼくがそう言うとすぐさまエリザベスの声が聞こえて来た。

「不思議に思ってたのよ。私の携帯電話に知らない人の名前と連絡先が登録されてて。だから思い切ってかけてみたのよ。あなた。ところで誰なの」