きょうのできごと

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日記のネタと人種

 いつも移動はたいてい車。なのでここ最近はあまり公共交通機関を使っていない。と言ってもたまに使うのでまったく使わないということもない。都市部ではそうでもないが田舎に行けば行くほどに公共交通機関を利用する層が顕著に浮き彫りになる。それは日本の地方と似通っているが、加えて特定のルーツを持った移民比率の高さが顕著になってくる。また同時に、そこに暗黙のルールがあるかのように、地域によって人種の違いを肌感覚で感じることができる。

 私たち日本人が持つ特定の国に住む人々のイメージと、そこに実際に住む人々はかなり異なっている。事実、私はカナダに来るまでそこに住む人々の多くは白人で構成されているような気がしていた。これまで目にしてきたスポーツや外交などに代表される特定の国際交流において、国とその国を代表する人のイメージの相違を感じたことはあまりなかったように思う。カナダであれば白人の代表者のイメージが強いし、他の国対しても例えば西洋の国の代表者は白人のイメージが強い。

 しかし現実はそうではなかった。こちらの特定の地域では東アジア人、南アジア、また中東などの人種を多く見かける。特に多いのは中国、インド、イランから来る移民だと思う。

 私が、国とその国を代表する人のイメージの相違をあまり感じてこなかったわけを挙げるとすれば以下の二つの理由が考えられる。一つは、そもそも国のイメージと代表者に外見的相違が見つけられた場合、それがなにかの間違いもしくは期待はずれということで、私の記憶に残りにくかったかもしれないということ。

 そして二つ目が主な理由にはなるが、国の代表者になりうる人物はその国である一定の教育と生活レベルの下に育っていることが多く、それを成しうるには移民よりも過去その国に長く住んでいる人種の方が有利であるということ。事実、カナダでは、ありとあらゆる人種の人々を見かけるが、ある地位や生活レベルという枠でカテゴライズするならば、古くから住む白人の率がまだ優位であるように思う。ただ、それは何をもってして裕福か、地位があるかという点において、個人的な尺度になってしまうが、これまで見てきたなにかしらの施設にあるお偉いさんの写真は白人の方が多いような気がしている。

 ある国に住む人々のイメージと実際に住んでいる人々の相違は、移民と人種がより混ざり合う未来においてさらに進むのではないかと思う。ただ、そのような時代になれば私のようにある国に対して特定の固定観念を持つ人も減るのかもしれない。他文化に触れ、そこにいる個人との交流を介して、メディアが私たちに与えているものが決してその国に住むすべての人々を指しているのではなく、ある部分を切り取った虚像であるという見方を得ることができる。

 新年が明け日常に埋没した私たちから見える景色は、かつてここにあった珍しくないものばかり。日常から離れた場所を私たちの中で見つけておかない限り、そこにある小さな
起伏は見えない。つまり何が言いたいかと言うと、日記に書くようなことがこの日なにも起こらなかったような気がするしなにも思い出せない。だが、なにも起こっていないということはありえない。それは私たちが、小さな出来事をまるでなかったかのようにして日々を過ごしているということに他ならない。そうして、私たちはやれ一年があっという間だなどと言うはめになる。