きょうのできごと

ともだちになってください

液体ドーナツと宇宙人

 私がこの惑星に来てから、ずいぶんと時間が経った。

 故郷の星で人並みに苦しんだり、時には幸せを感じたりしながら過ごしていた当時、知らないまに未知への興味という物質がどんどんと大きくなっていることに気づいた。それは私の頭の中のどこか知らない場所を風船のように膨らませ、日を追うごとに私の他の部分を圧迫していった。

 ついにもうダメだというくらいに大きくなったそれは、ある日とてつもない爆発を引き起こし、故郷や日常が持つ大きくさまざまな引力をものともせずに大気圏を抜け、気づけば私はこの惑星にたどり着いていた。

 未知への興味という物質が持つエネルギーは、故郷を離れても尚、私を強く導くとともに目の前に現れるすべてを輝かせた。しかし、あるときを堺にそのエネルギーが私の頭の中で枯渇し始め、気づくと私は自分が別のだれかになってしまったような気がし始めていた。それは私という定義を、身体や心だけではない「人間」つまり「人の間」にまで大きくしたときに、かつて故郷にいたときに存在していた自分をあまり感じることができないということだった。

 言語による自己表現が文化によって異なるというのは、誰しもが言わずとしてわかることだ。ただ、予想できなかったのは、人は会話の中でひらめきを得ているという部分であり、相当に使い慣れている言語でない限り、言葉の連想に加え、言葉の世界の広がりが制限されてしまう。

 例えば、緑の地に赤色のロゴもしくは絵がプリントされたTシャツの上から茶色のジャケットを着ている人間がいたという話をしているときに

「そいつ、ハンバーガーの妖精かいな」

という連想が瞬時にできたり、なにかよくわからない色んな果物や野菜で作られたスムージーを飲んだ後に感想を聞かれ

「半年前の給食のとき飲み忘れたパック牛乳が少し発酵し出してきたやつと、液体状のドーナツに両国国技館から滴り落ちる雪解け水を混ぜたやつのマズさの真逆の美味さだわ」

と、上手いことを言ってそうで実は何も中身がないことを思いつくことがなかなか難しい。

 ここで日記を書き始め一ヶ月以上が経ちました。自分の中で小さな自信を得られたような気がしています。いつも、ありがとうございます。