きょうのできごと

ともだちになってください

認識を埋めるものと義理恥

 昨日見ていたドラマ。あんまりぐっとこなかったけど、ニュースなんかにもなってたりしたもんだから続きを見た。このドラマ、初めは日本のNetflixが制作したのかと思っていたらBBCNetflixの制作だということだった。監督は外国人。どうりで。いろいろと合点が行く。

 やはり見ていると、どうしても違和感がところどころで浮かび上がる。それが伏線なのであればいいが、おそらく伏線なんかじゃない。ずっと回収されない伏線は、ただの違和感だ。「なぜ」という違和感が引っかかり、それが明かされないままに話しが進むのは少し我慢がいる。

「家族はこっちにいるの」

 ドラマを見ていて、こちらに住む人から何回かされたことのある質問が頭に浮かんだ。移民の国、カナダにおいて家族がまるごとが移住するのはよくあることなのかもしれない。だから、たまにそういった質問をされることがある。ただ、私の知る限り、そんな日本人はいない。家族ごと移民する人々には、やはりそれなりにわけがあって、だから元いる国から離れ移住する。けれど、日本は比較的恵まれているからそういう人はあまりいない。

 話しを戻すと、ドラマ内ではときおり外国人が思う「ジャパニーズ」が現れる。だれしもが他人をあるイメージで信じていて、それをその他人に確認することなく「そうだよね」と言い放つ。それはだれしもに起こりうることで悪意はないが「おしい。なんかおしいけど微妙にそこ違うんだよね」と思うことになる。

 国という文化の違いによってそういう微妙なズレが生まれるのであれば、私たちが完全に理解していると信じている家族や身近なだれかとの間にも、とても些細で気づかないようなズレが実はあって、でもそれは信頼だとか血縁だとか優しさだとか愛だとか契約とかがあるおかげで、とんでもなく大きな問題にならないで済んでいるのかもしれない。