きょうのできごと

ともだちになってください

甥と姪と学校

 予想通り。駐車場に停められている車は疎らだった。

 ハンドルを切った私は直感的にいつも停めている角にある場所ではなく、その角の隣の場所に車を停める。それは両サイドに広がったスペースが、車のドアを開けるときの安心感につながるからだ。

 いつもであればほとんどの場所に車が停められていて、なぜかその角の場所だけが空いていることが多い。けれどこの日は雪が積もっていることもあって、外に出る人も少なかったんだと思う。

 学校には雪が降ったためか、生徒がほとんどいなかった。先週も雪だったこともあって、これで同じような光景が二週連続で繰り返されたということになる。

 私が週末に通っている学校は、移民のための学校なので費用が発生しない。また、これは人にもよるが、授業もなければ宿題もない。週のある一定の時間数通うという条件が満たすことだけが生徒へと課せられる条件になる。ただし、その条件もなにか理由があるのであれば無視してよいという風潮がある。つまり、休みたい放題、遅刻し放題ということだ。そのような環境下で学ぶには、かなりその人の自主性が必要となってくる。私も長く通っているわけではないのでわからないが、おそらくは生徒の入れ代わりがとても早いのではないかと思う。ましてや、移民のための学校ということもあり、通う人々の理由の多くは日常生活を不自由なくこなせるようになるか、もしくは仕事を得るため、学校に入学するためにこの場所で学んでいる。中には市民権を得るためや、その他の理由で学習を続けたいからという人もいる。その中でも、日常生活のためや仕事を得るために来ている人々の場合、日常生活において個人的な満足感を得てしまったり、なんとなく仕事が決まってしまった場合、学校へ来る意味を見失ってしまうため、急に通わなくなってしまうのかもしれないと思った。 

 夜は家族の集まりがあった。近頃の集まりは、主に甥と姪を中心に進行される。甥は二歳児、姪は二ヶ月だ。「うっざ!」が40%「なぜ?」が40%「かわいい…」が20%くらい。そのような3つの思考が私の頭の中でぐるぐると回る。

 今回、甥に仕掛けた遊びは、トンネルが通過したときのワクワクさを生み出す「トンネル通過」いないいないバーからの「変顔」これはおれのものだと言うことでしょうもないものを価値あるものに見せかけそれを取り合う「オレのものだ」の3つだった。