きょうのできごと

ともだちになってください

ともだち

 友だちがおるってこと。ぼくはめっちゃうれしい。
 昨日と今日、友だちとひさしぶりに電話してなんかうれしかった。
 そんでめっちゃ感謝しとる。友だちのあんたらが思う以上に、ぼくはめっちゃありがとうって思っとるんやからなって言いたい。
 いつも話が終わった後に思う。ああ、今回もありがとうの気持ち伝えるん忘れた。ぼくがあいつにしてあげられること、いっしょに考えてあげれることなんかもっとあったんじゃないんかな。もっとそういうこと話せばよかったわ。って。
 でも友だちがおるなんて意識することはめったにない。なんかあいつとあいつは友だちやからなって思った時点で、なんかそれはぼくが思う友だちとは違う気がしてしまう。
 友だちっていうもんは、言葉にするような仰々しいもんじゃなくて、思うになんかそこにおるものっていう方が適しとるんじゃないかと思う。なんとなくいつの間にか、意識することなくなんかをどうでもいいこと話したりする。そういうのが友だちなんかもしれんなあと思う。
 やけどそういうのに当てはまらん、不思議な友だちもおったりする。そんなどうでもいいことばかり話す友だちじゃなくて、むしろなんかもっと深い話。そういうのができる人ってのは、もしかしたら世界の見方が似通っとるんかもしれん。普通、深い話になればなるほどにそこで共感を得ることってのは難しくなる。でも、その友だちはそういった共感を得られる確率が高い。それってやっぱり、根底にあるもんや興味が似通っとるんやと思う。
 たぶんなんでか仲良くならんなった知り合いの人やったり、疎遠になっていった人は全員が全員そういうわけじゃないとは思うけど、世界の見方や興味、深い考えへの共感が運悪く折り合わなかったんかもしれん。
 大人になればなるほど友だちができんくなるっていうんは本当かもしれん。やけど、ぼくらがぼくらであり続けて、それを発信していくことで、きっとまだ見ぬだれかと友だちになれるんじゃないかって思う。
 友だちがみんな元気に、それぞれの今を前向きに生きているように、ぼくもこれからヨーグルトを食べるという今を生きようと思う。