きょうのできごと

ともだちになってください

娘とそのお母さんの会話

 先ほど、ぼくはベンチに座っていた。そのベンチは三人掛けのベンチで、左と真ん中の席に娘とそのお母さん、右にぼくが座っていた。

 西日が強く差しこむ中、ぼくは、おまえは聖者か学級委員長か、と言われんばかりの姿勢で本を読んでいた。この気だるい暑さをものともしない素晴らしい姿勢には、夏もぼくをこれ以上困らせることを諦めざるをえなかった。

 あまりの姿勢の良さ加減に、娘とお母さんの話しがおざなりになりそうだったが、そこはさすが素晴らしい姿勢で書いているだけあって、この話の本筋である彼らの話しに戻ることができそうである。

 娘が一方的に彼氏の話しをお母さんにしていた。だが見るに、彼らの姿勢は、なんというか、なっていなかった。甘めに言って、五級だろうと思う。失礼。五級というのは何なのか、ということだが、これは姿勢検定なるものがあったとしたら、ということである。ちなみにぼくの姿勢は、準一級くらいのはずである。厳しい試験と姿勢を保って来たからこそ与えられる称号であり、簡単に取得することはできない。彼らがおそらく五級というのも、準一級という高レベルに位置するぼくが判断したから、ということも一つ言えそうである。準一級ともなると、その眼も厳しくならざるをえない。

 娘は彼氏と別れるに至った原因の一つとして、引っ越しをせねばいけない家庭環境、すなわち父親が一つの要因となっていると言っていた。ぼくがこの素晴らしい天を切り裂かんばかりの刃物のような鋭さを兼ね備えた姿勢を手に入れたのは、家庭環境でも、幼い頃に寺に通ってお経を唱えていたからでもない。背骨は一本の骨ではなく組み合わさってこの背中を作っているような気がするが、その組み合っている部分が外れたりしたらどうしようと思うのが主な理由である。素晴らしい姿勢を保っていれば、少なくとも人よりも外れにくいだろうと思っている。そもそも外れた人を見たことはないが、過去、手の小指を脱臼した経験から、背骨の脱臼もない話ではないのではないかと信じている。北斗真拳の奥義で背骨をバラバラにする技があった際にも、僅かながら他の人よりもバラバラになりにくいのではないかと思う。ちなみにぼくが好きな奥義は北斗骸骨拳(漢字が違うかもしれないが)である。この奥義は骨だけを後ろにぶっ飛ばすという凄まじい奥義であり、漫画以外、この現実世界に無いことをこれほどまでに願う奥義は無い。

 ちなみに、颯爽(さっそう)という言葉が、ぼくの姿勢の全てを言い表すために生まれたかのような、そんな素晴らしい姿勢を保ちつつその席を離れたため、娘とお母さんの話しは最後まで聞くことができなかった。姿勢があまりに良過ぎるのもまた、考えものである。