きょうのできごと

ともだちになってください

雪かきと犬

 朝起きて犬を外に連れ出す。雪は思ったよりも積もっていて、それは30から40cmぐらいもあった。早朝ということもあって、だれかが歩いた形跡はまだなかった。

 犬と私は積もった雪に足を取られながらもなんとか道に出た。犬は頭がよく、リードを外しても歩道からは絶対に出ないし、用を足すときは必ず芝生でする。しかしこの日、歩道は前日までの除雪作業と人が歩いたことによって辛うじて歩けたが、芝生は雪で覆われていて入れそうになかった。犬はそれを悟ったのか、いつも用を足す場所の近くで我慢しきれなくなっておしっこをし始めた。私がリードを外すといつものようにトコトコと走り出し、うんちをする場所を探すと同時にそれを出す準備を始めた。

 しかし前述したように今日は歩道にある芝生が雪に覆われており、どこが芝生なのかわからないようだった。結局、犬はどうやら芝生の場所をなんとなく知っていたようで、覆われた雪の上を歩きだし、すぐにうんちをする踏ん張り体勢に入った。雪の中に手足がずっぽりと入ってしまっていてとても冷たそうだった。

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 その後、近所の除雪作業を始めた。共有の道のような場所をすべて除雪した。自分の場所ではない共有の部分まで除雪をしたのは、これまで何人かの近隣に住む人々がその部分を除雪してくれたことがあったので、今回は自分がその番だと思ったのだ。

 除雪したのは何年ぶりだろう。こどもの頃はよく除雪していた。めんどくさかったような気もするけど、今思い返せば楽しかった気もする。

 雪は今週末まで降るらしい。けれど、そこから気温がまた上がるため、雨が続いていく。雪が雨に変わり、その雨が雪を消していくのがいつも寂しい。

布団と宇宙の中心

 あと何十分か経てば私の心とは裏腹に、身体はなにかに操られるようにしてここから離れていく。

 火のついたガスコンロの上には、私の心で満たされた鍋が置かれている。すでに、その底から小さな空砲がぷくぷくと浮かび上がってきていて、それは少し前まではとても静かだったのに、嘘みたい。やっぱりいつものようにだんだんと騒がしくなってる。

 これはほとんどの私の朝に起こるできごとで、沸騰していく心がこのまま吹きこぼれないよう、私はしぶしぶに火のついたガスコンロから離れる。

 さっきから眠気眼に何度か見ている薄暗い部屋の中にあるすべての光景は、とっくのとうに見尽くされていて、何千何万と見たからか、それらは私の朝の目の一部と言ってもいいくらいの光景となっていた。

 毎朝、私たちの宇宙の中心は、必ずといっていいほど布団の中にある。それは寒さとともに宇宙の中心が明確になるからだ。

 最近読んだ漫画に地球球体説が出てきた。今ではすっかり当たり前だけれど、その説というのは地球という球体の中心に核というものがあって、それを中心にひっぱられるみたいにして重力があるってことだった。布団も地球もそうなのだから、この宇宙にあるすべて、物質だけに限らず、人間の感情やなんかにも重力があるのかもしれない。

 宇宙の中心に気づくと同時に時折、右肘から先端までの感覚がないことがある。そんなときは左手で右腕を布団の中に引き寄せ、右腕が回復するのを待つことになる。あれはいったいななのだろうと思う。怖い。だれかを戦争に送り出す夢とか見たときに万歳三唱して、両腕が布団の外に出たがために両腕の感覚がなくなったらどうすればいいんだろうと思う。

 日本にいたときは、そんなふうにして、朝、いろいろ思うことはありましたが、こちらではそもそも暖房がついているからか、朝に対してちょっぴり寒いと思うくらいでなんのドラマもありません。コタツもヒーターの灯油も入れなくていいけど、そういう嫌なことも含めて冬のような気がしますので、物足りなさもあります。

料理と漫画

 この日も少しばかり雪が降った。でも綿毛のように宙をふわふわと舞うだけでまるで迫力がない。そのぶん少し甘くてちょっぴり美味しそうな気がした。けれど味はたぶんしない。というか絶対にしない。なんて。決めつけてしまうのはなんだかつまらない。そんなつまらないことばかりしてるから、地球がどんどん小さくなるんだと思う。でも、たぶん無味の方が結局いいんだと思う。だって甘かったりしたら、蟻だらけになりそうだし糖尿病患者が少しだけ増える。雪は週末まで降るらしい。そう天気予報が言っていた。ちかごろ空を見る機会が減ったのは、地面にある雪に目が行ってしまうからだ。

 ひさしぶりに漫画を読んだ。最近ずっと読んでいなかったのもあったからか、やっぱり漫画はおもしろいと思った。海外では、漫画よりもアニメの方が人気がある。それはより真っ当に流通しているアニメの方が消費されやすいからだ。

 アニメと漫画について、海外にいて一つ学んだことがある。例えばとてもおもしろい漫画があって、それが元となったアニメがあるとする。一つにそのアニメの原作はそもそも漫画であること。二つ目に、漫画のおもしろさという人気があってアニメが人気になっているということ。これを、海外のアニメを見る人に伝え、漫画がいかに素晴らしいものかを伝えたとする。だが、結局は海外のアニメ好きは漫画をあまり見ない。アニメの作画よりも凝った作画だったとしても、彼らは漫画ではなくアニメを選ぶ。もしかすると、擬音など絵と同化している文字があったりする不利な点はあるかもしれないけど、漫画よりもアニメが勝っている。同じ話しなら漫画の方が絶対におもしろいのに。

 奥さんが一週間ぶんのお弁当とごはんを作ってくれた。感謝。私も、できる限りアシスタントとして手伝った。

認識を埋めるものと義理恥

 昨日見ていたドラマ。あんまりぐっとこなかったけど、ニュースなんかにもなってたりしたもんだから続きを見た。このドラマ、初めは日本のNetflixが制作したのかと思っていたらBBCNetflixの制作だということだった。監督は外国人。どうりで。いろいろと合点が行く。

 やはり見ていると、どうしても違和感がところどころで浮かび上がる。それが伏線なのであればいいが、おそらく伏線なんかじゃない。ずっと回収されない伏線は、ただの違和感だ。「なぜ」という違和感が引っかかり、それが明かされないままに話しが進むのは少し我慢がいる。

「家族はこっちにいるの」

 ドラマを見ていて、こちらに住む人から何回かされたことのある質問が頭に浮かんだ。移民の国、カナダにおいて家族がまるごとが移住するのはよくあることなのかもしれない。だから、たまにそういった質問をされることがある。ただ、私の知る限り、そんな日本人はいない。家族ごと移民する人々には、やはりそれなりにわけがあって、だから元いる国から離れ移住する。けれど、日本は比較的恵まれているからそういう人はあまりいない。

 話しを戻すと、ドラマ内ではときおり外国人が思う「ジャパニーズ」が現れる。だれしもが他人をあるイメージで信じていて、それをその他人に確認することなく「そうだよね」と言い放つ。それはだれしもに起こりうることで悪意はないが「おしい。なんかおしいけど微妙にそこ違うんだよね」と思うことになる。

 国という文化の違いによってそういう微妙なズレが生まれるのであれば、私たちが完全に理解していると信じている家族や身近なだれかとの間にも、とても些細で気づかないようなズレが実はあって、でもそれは信頼だとか血縁だとか優しさだとか愛だとか契約とかがあるおかげで、とんでもなく大きな問題にならないで済んでいるのかもしれない。

ドラマと雪だるま

 雪だるまとスノーマンは日本語と英語の違いってだけじゃないらしくて、それ自体が違うものみたい。雪だるまは二段だけどスノーマンは三段。仮に西洋文化では三段だとして、じゃあ西洋文化じゃない国の雪だるまって日本みたいに二段なんだろうか。

 やっぱり雪だるまは二段がいい。そもそも三段なんて積み上げるときに腰をいわしてしまう率が上がる。腰をいわした後だれかと会ったときに、動きが少しおかしいもんだから「どうしたんですか」と聞かれ「いやーまあ、重いものを持ったときにですね。ちょっとやらかしてしまいましてね。ほんとに歳はとるもんじゃないですよ。たはは」などと苦笑いしながら言いつつ「本当は雪だるまの頭を持ったときに腰をいわしたんだよ。そうだよ。筋トレでも引っ越しでもない、雪遊びなんていう大人がはしゃぐなんて恥ずかしいやつで腰をいわしたTHEしょうもない人間、それが今の私」と心の中で何度もつぶやくはめになる。

 それになんかかわいくない気がする。アナ雪のオラフ、けっこう高感度高かったけど、あいつも二段になればいいのにと最近思ったりする。たぶん、アナ雪に影響を受けて三段の雪だるまを作る人が増えていると思う。昨今の温暖化もあって、二段の雪だるまの人口減少も起きているんだろうとか思った。

 雪はそれなりの雨であらかた溶けてしまった。なんだかつまらない。来週も雪の予報だが、予報はやはり予報ということもあってじょじょに雨や晴れへと予報が変わっている。当初は四日間連続の雪だったにもかかわらず、今ではそれが二日にまで短縮されてしまった。なんだかつまらない。

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 昨晩、テレビ上にあるいろいろとドラマや映画が見れる場所でピッピと検索していた奥さんが突然声を上げた。そこで、日本のドラマを見つけたとのことだった。

 感情は50/50。ちょっぴり見たくもありつつ、特に見なくてもよかったんだけど、そこは彼女に免じて見てみることにしてあげた。ただ、日本のドラマがこのようにその場所にあることはやっぱり珍しいから、なんやかんや思いながらもたぶん私は見てみたかったんだと思う。

 ドラマが始まると、すぐさまたくさんの人が死んだ。全体を通して可もなく不可もなくといったところだが、ところどころで小さな違和感を感じてしまった。たぶん、日本人の思う日本と、西洋のだれかが欲している日本というものが微妙に違うんだと思う。でも、主人公が英語をしゃべるときに「YES」と「THANK YOU」を多用するのには、すごくそうだなあって思った。よく見てるし、少しだけもっと見たくなった。