きょうのできごと

ともだちになってください

ばあちゃんとパーティー

 奥さんの実家でパーテー。内陸部に住む親戚が来るので総勢10名くらいが集まった。オードブルの出前を並べたりお酒を並べたりと少しパーティーの準備をし、しばらく経って皆が集まって来た。ひさしぶりの人もいた。限りない時間の中でこうして出会えていることに感謝をしたいと思った。皆で夕食と歓談を楽しんだ後、大量の残り物とともに帰路についた。

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 挨拶のときに抱き合う文化、通称「ハグ」への違和感が消えていたことに昨日気づいた。当初、私は自分の慣習になかった抱き合うという文化への意味をずっと探していた。ただそういう慣習があるからそれに倣うだとか、そうやって今まで育って来たからなどという盲目的でない理由。

 昨日、赤ちゃんが抱かれているのを見ていたときだった。私は抱き合うという文化の答えがそこにあるような気がした。そして、人間としてだれかを抱きしめることは、それをしないことよりもずっと正しいような気がした。これまでそんなふうに思ったことはなかった。すべての人間は生まれてからしばらくの間だれかに抱かれる。私たちの知らない私たちは、かつてだれかのぬくもりに包まれていたことを覚えている。

 自分が何者であるか分からず、また同時に言葉を持たざるもの。それらと今を分かち合うもっとも優れた方法が触れ合う、抱きしめるという方法であり、それは私たちが本質的に欲しているものだと思う。

 うちのばあちゃんは認知症だ。きっと、自分が何者であるかも分からない。言葉も年月を追うごとに失っていく。だから私は、ばあちゃんに会うたび、ばあちゃんを抱きしめることにしている。かつて、ばあちゃんが、幼い私を抱きしめたように。ばあちゃんという入れ物の中に残る、ばあちゃんというなにかと今を分かち合うために。