きょうのできごと

ともだちになってください

ワクチン

 ワクチンのお知らせが来たから申し込みをした。日本の友だちとそんなふうに国ごとに異なるペースで接種が広がっとるワクチンのこと話しとって、そんで日本の若者に対しての接種開始予定見たら未定て書いてあった。パンデミックの度合いや人々の受け取り方もあるし、ワクチン接種が早い遅いでその自治体が良いとか悪いと言えんと思うけど、オリンピックやるんやったら名目として他国より接種率が高かったら安心材料の一つになったんになあと思う。やけどもワクチン。申し込みしたんはいいけどよくよく考えるとワクチンあんま意味ないんじゃないんかなて思う。ぼくが接種する予定のファイザー社のワクチンは感染を抑えるタイプのものではなく、感染しても症状が出ないようにするものらしい。つまり仮にワクチンを接種したとして、症状は抑えられるが感染し感染させてしまう可能性は変わらない。自分の年齢が重症化する危険性が低いということを鑑みると急遽作られた感の否めないワクチンを焦って接種することはただ周りの流れに身を任せているに過ぎず、そこにどんな落とし穴が待ち構えているのかは今のところ知る由はない。

 カナダは屋内で家族以外と集まることが禁止されとる。やけど一定の人数以下で屋外で集まるんは大丈夫ってことで、最近知人が外でサプライズウエディングシャワーをやった。んでそんときに知人のうちの一人の女声が食べ過ぎで吐き気を催したらしいんやけど、ぼくはその吐いた彼女は妊娠しとるんじゃないんかってつい瞬間的に思ってしまった。女性+吐く=妊娠。といった公式が自分の中にあったことを知って少し驚いた。ぼくはここ何年かで、間近で流産やら妊娠やら出産やらをこれでもかというほど見てきとるから、そんなふうに思えてならんかったんやと思う。我ながら気味悪いことに、今や一対の男女から一人の人間が作られることが、昔よりもずっと容易にあたりまえに思える。精子卵子っていう別の人を生み出すことができる要素がぼくらからは定期的に排出されていて、それは潜在能力として今この瞬間も体内でそのときを待っている。そんなふうに思うと、自分の中には自分だけがいるってわけではなく、小さな別のなにかが潜んどって、それが自分とは別の方向へと進もうとしとるように思えてくる。