きょうのできごと

ともだちになってください

ボードゲームと包装紙

 お義母さんといっしょにお昼ごはんを食べるために、奥さんの実家へと向かう。特に口を挟むことはなく、特に聞くこともなかったが、実家でお昼ごはんを食べて一日をそこで過ごすということは、奥さんがしたかったことなのだと思う。クリスマスは一日中家族で過ごすということが当たり前のように昔から彼女の中に存在していて、だからお昼をいっしょに食べたのだと思う。材料、といってもたまごとベーコンだけだが、うちから持って行って、彼女がお昼ごはんを作ってくれた。パンに目玉焼きが乗ったやつとベーコン。お義母さんが思いついたようにエッグノッグを出して来たが、私はもちろん飲んだ経験があった、特に嫌いではないが好きでもない味。少し卵の味がする牛乳で、薬品のような飲後感残る飲み物。どこ発祥の飲み物かは定かではない。あまり興味もない。

 午後に義弟家族が来るまで、三人でスクラブルというゲームをした。盤の上にアルファベットを並べていき、点数を稼いでいくというこちらでは有名なゲームだ。というか、ボードゲームをする流れになる率が日本とは違って高い。ボードゲームが家々に必ずある。ただし、奥さんの実家ではクリスマスしかボードゲームで遊ばない。クリスマスは皆でボードゲームをするという、あるあるがあるのだと思う。スクラブルをしながら、このゲームの日本語版は成立するのだろうかと考えていた。幅広い世代で遊ぶことができる素敵なゲームだと思う。ただ、いつもお義母さんが強い。ただ、私も英語力はクソながらもいつもなぜか上位に食い込んでいる。それは負けたくないがための必死さと、考え込んで時間を使う頻度が他者を上回っているからだと思う。でも、そうでもしないとおそらくは圧倒的な差をもってして敗北を期すだろう。

 義弟家族が到着しプレゼント交換が始まった。全員が全員にプレゼントを買ってくるため、プレゼントの総数はたいていその場にいる人数の二乗くらいになる。

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 今年もらったプレゼントはランニングシューズ、トレーナー、チョコレート、走るときの時計だった。それに加えて、別タイミングでお義母さんから、走るときの帽子と車の荷物を積む場所のカバーをくれた。走れということだと思う。プレゼント交換の量が日本と比べる半端ないが、こっちではこんなもので、大きな家族だとこれ以上になると思う。

 クリスマスプレゼントを開ける瞬間のドキドキは何歳になっても楽しい。日本の正月がこちらのクリスマスとよく言うが、そのように別文化の日本の正月のような大きなイベントに触れることができるのはとても有意義だと思う。

 ただ、戦争と貧困を経験したばあちゃんに育てられた身としては、このクリスマス文化全体が、包装紙や実は必要のなかったプレゼントの廃棄というとても大きな無駄の上に成り立っているということを考えてしまう。人間の愉しみにはとても無駄が多いが、それが様々な人生の喜びや文化を作り出している。

 包装紙を破く人を見るたびに、私は祖母を思い出す。祖母は包装紙をなるべく破かないように開けていた。包装紙のテープを剥がし、丁寧に折りたたみ、収納し、必要な際に使えるようにしていた。美しく収納されていた包装紙たちは、新たに命を吹き込まれみたいにしてそこで大人しくしているように思えた。日本人の習性として他国の人よりも「もったいないなあ」と思ってしまう感覚があると思う。見過ごされがちだが、今後この価値観は必ず見直されるはずだし、そうなって欲しい。

 その後、皆でターキーと野菜を食べた。メリークリスマス。