きょうのできごと

ともだちになってください

日本語と朝

 近頃はどうすれば朝気持ちよく起きれるのかを考える。休みの日など朝に余裕のある日であれば、だらだらを続けた果ての罪悪感や、今日が終わってしまうという焦燥感が、いつも私をベッドから跳ね起こす。ただ平日はというと、そうは問屋がおろさない。早く眠りにつくことは大前提ではあるが、それでも寝ていようと思えばいつまでも寝ていられる。そもそもが睡眠は人間の三大欲求の一つとも言われているものでもあるので、私たちがそれを楽しんでしまうのは致し方がないとも言える。過去、では残りの二大欲求と戦わせてみてはどうだろうかと試してはみたが、結局どちらもさらに眠気を引き起こす原因となってしまった。そのため、今は三大欲求とまではいかないが、朝に自分が楽しいと感じるなにかをいろいろと持って来ては、その反応をみている。

 最近は朝の道路がそれほど混まない。毎日のように事故のニュースは聞くが、それでも尚、交通網が普段のそれと変わらないのはクリスマス休暇の人がいるからだろうと奥さんから教えられた。ただ、そうだとすればその人々はおよそ3週間ものクリスマス休暇を取っているということになる。

 この日は仕事後に友人と会った。この町で日本語で話すことができる数少ない友人。私はきっと自分が思っているよりもずっと、そのような友人に感謝をしている。母国語で話すことは、とても大事なことだ。母国語と他言語では、どうやら頭の中で使っている部分が違う。他言語は現状の私の場合、言葉を意識しつつも、かなり直感的なものに頼っていることが多い。ただ、母国語の場合は言葉選びや文脈を意識する自分と、話している自分や相手、会話全体を客観視している自分がいる。それは単純に余裕があるということかもしれない。

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 家路につく際、奥さんとスーパーに寄り今晩の夕食の材料を買った。その後、家のクリスマスプレゼントのラッピングで溢れかえっていた部屋を整理整頓してから、パスタを食べた。彼女はパスタのとき、必ずといっていいほどガーリックブレッドを用意する。そこに、彼女が育って来た環境を垣間見る。人は、なにか、こうすべきであると思っているものが必ずあるのだと思う。なにか利点があるわけではなく、過去そうだったからそうすべきであるというもの。もしくは、基本的にはガーリックブレッドを食べたい気持ちは常にあるが、いつも食べているわけにはいかない。そのため、パスタを契機としてそれを食べることを許しているのかもしれない。それとも、もしかすると消化に良い、美味しさがいっそう引き立つなど実利がある可能性もある。

 夜眠る際に3月のライオンという将棋アニメの第一話を、奥さんと一緒に見た。彼女は私が将棋が好きということを知っている。だから、たまに将棋というものをなんとなくしか知らないにも関わらず「将棋しようよ」と言ってくる。そんなことが何度かあったものだから、私はついに日本で将棋盤を買い、それを彼女の誕生日プレゼントのおまけにしようと考えている。3月のライオンが、実は将棋とはなにかをざっくりと伝えるための布石であることを、彼女はまだ知らない。