きょうのできごと

ともだちになってください

炬燵とエルフ

 時間が速く過ぎたように感じるのは、振り返ったときに何もしていなかったように思うからだ。私たちは様々なことを都度思ったり決断したりしてそのときどきを生きている。けれど今という地点に立って後ろを振り返ると、それまで行ってきた様々なことについて、これっぽっちも覚えていない。時間が経てば経つほど、思うまでもなく行動できることがどんどんと増えて行き一日があっという間に終わるようになる。それは、辛いことも速く過ぎるという意味で生きやすくなっているように思うと同時に、物足りなさをも増えていくような気がする。

 ここ最近の空は、灰色を一定に保ち安定している。

 少し前にスーパーで買ったペットボトルに入ったアイスランドの水が机の上にある。嘘か真か甚だ疑問だがアイスランドの氷河の水ということらしい。改めて見るとペットボトル上部が変わった形状をしていて、線対称ではない。落としてへこんだのだろうかと思い手に取ると、ペットボトルの先端部分が氷河を模したものになっている。自分で買っておきながらそんなデザインだったことなんてすっかりと忘れていた。通常線対称の形状をしているペットボトルも、自然を模したものであるならば左右対称になりようがない。あえてわずかに線対称を壊すことで自然をデザインに組み込んでいる。

 スーパーに行った。エルフが店内のどこかに隠れているのだという。見つけた人はなにかもらえるのだそうな。

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 クリスマスが終わった町の家々に輝くイルミネーションは何を祝っているのだろうか。後片付けすらしない己の怠惰でも祝っているのだろうか。そんな私の皮肉に、彼女は「なんにでもだよ」と言った。

 そういう私たちの部屋にも、未だ何を祝っているのか分からないクリスマスツリーが存在している。毎朝起きて居間に行くと、私はクリスマスが終わったにも関わらずとりあえず必ずツリーのライトを点ける。まるで居間に行った途端にコタツのスイッチを入れるように。ずいぶんとコタツに入っていない気がする。けれど、別それほど入りたいとも思わないのはこちらでは部屋の中がそこそこ暖かいからだ。コタツに関して一つ言うのであれば、コタツに足を入れスイッチを入れて温かくなるまでの間、冷たいコタツの洞穴の中で感じる二つの足の寂しさに気づく時間についての話しを、私はこれまでの人生でだれとも語り合ったことがない。

 クリスマスという楽しみが去ったという現実に対して私は、こちらの年末年始はまとめてクリスマスみたいなものであるという、まやかしのシンボルとしてツリーを灯すのかもしれない。ツリーの頂上にある星の代わりに正月のしめ飾りを配置したい。できるのであれば。