きょうのできごと

ともだちになってください

M1とクリショピ

 起きて外に出るとなぜか眩しい。太陽が差していたのだ。このところ雨続きでずいぶんと日の光を見ていなかったような気がする。最後に晴れ間を見たのはいつだったのか覚えていない。かといって特別な感動でもしたのかというと、特にそんな感動があるわけもなかった。人間やってると何千回と晴れを経験する。きっとそのせいで今さら晴れなどに感動している暇はないのだと、私をつかさどる部分が私をそうしたんだと思う。

 私が家の外に出るときの理由はたぶん千個ある。今回その千個のうちの理由の一つである犬の排便を手助けするために外出した。散歩と言えば聞こえがいいが、そんなのは戯言だ。犬といっしょに住んでいて薄々感じていたことなのだが、犬を外で排便させるタイプの飼い主であるならば、結局はみんな排便のために外に出しているんじゃないかと思う。でもきっと犬は、この外が持つだだっ広い感じが好きなのだとは思う。私も人間という別の生物ではあるが、ずっと家にばかりいるよりもたまには外をぶらぶらすることで自分という存在がなにかこうちょっぴり広がったような気がしないでもないからだ。

 クリスマスショッピング。最近になって私はこの言葉の意味を自分の中で再構築せざるを得なかった。普通に言えば「クリスマスの買い物」とそのままなのだが、実はこの言葉は「初詣」くらいの意味あいがあるのではないかと思ったのだ。こちらではこのクリスマスの買い物というのがある種、クリスマスを迎えるにあたっての通過儀礼のように皆の中で共有されている。そのため「クリスマスショッピング終わった?」「今日はクリスマスショッピングで激混みー」などという形で、「それを乗り越えぬ者。クリスマスに在るべからず」ぐらいの重みがあるのである。

 そんなわけで奥さんと「まじほんとにこれで全部買うべきもの買ったよね?うちらのクリショピ」といった具合で確認ができるほどにクリスマスの日を向けてプレゼントという名のお年玉を準備したのである。ただ実際にはまだ買い終わっておらず、姪用のおもちゃを見に行くという予定はある。

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 母とテレビ電話をした。多いときは週一、少なくとも三週間に一度くらいはテレビ電話で家族と話している。かけたときは日本時間でちょうどごはん前だった。ブリの焼いたやつを食べるところだったので、私の口の中のよだれが止まらなかった。

 海外で食べにくい料理の一つに焼き魚がある。私の住んでいる地域で言うならば、まず焼き魚が食べられそうなレストランというのは日本料理屋か、もしくは寿司屋くらいだろうと思う。ただ、寿司屋に限っては日本人でない方が経営されている店が肌感覚だと9割なので、そこで理想の焼き魚が食べられるとは思えない。そもそも、我々の嗜好として酒のつまみでない、普通の夕食を外で食べる際、焼き魚を単品で頼むということはあまり聞いたことがない。ただ、これは私がそう思っているだけなのかもしれない。定食屋のセットメニューですら、例えば生姜焼き定食なんかがあればそちらを頼んでしまう。
ただ、ここまで書いて気づいたが、これはただの私の好み。本当に根も葉もない誰にも共感されない事実である可能性が非常に高いぞこれは、と我に返りつつ思った。

 M1、まだ見てないので見ようと思う。